北九州ってどんなまち!② of kitakyushu-jc

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北九州ってどんなまち!②
~5市合併から生まれた祭り~

1、北九州市の誕生(5市合併 世界でもまれな対等合併)

平成の大合併で、今では市町村合併は珍しくないことですが、北九州市は今から46年前の1963(昭和38)年に、当時の小倉市・八幡市・戸畑市・門司市・若松市の5市が対等合併し、誕生した最初の都市です。合併により100万人越え日本全国で6番目の政令指定都市に成りました。 現在は門司区・小倉北区・小倉南区・八幡東区・八幡西区・戸畑区・若松区の7区に分かれています。1980年代の「鉄冷え」と呼ばれる地域的な不況経験し、人口は100万人を割りましたが、現在では自動車関連企業や、ロボット産業、環境循環産業をはじめとする新たな産業の集積地と成りつつあります。







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2、合併の問題と北九州青年会議所JCの取り組み

【まつり北九州】

五市が合併し10年、西日本産業経済圏の中心になるはずの北九州は、そのころ「経済大国」の流れから取り残され、どちらを向いても暗い話ばかりで、若者のいない町になろうとしていた。また、この頃はまだ旧五市意識が強く、北九州市民としての連帯感がなかなか生まれないと誰もが感じていた時期でした。1973年にJCデー統一事業として旧五市意識を払拭する、北九州市民が一つになるような広がりをもった新しい祭りとして、「北九州の心は一つ、ふるさとをみつめよう」をテーマに、五市のまつりを集めて第1回「まつり北九州」が1万人余の観衆のもと小倉球場にておこなわれました。回を追うごとに観衆も増え、1976年の第4回から小倉城周辺に会場を変え、より多くの市民の参加を呼びかけました。
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3、わっしょい百万夏まつり

1988年市制25周年を機に実行母体を(社)北九州青年会議所から北九州市に移管し名称も「まつり北九州」から「わっしょい百万夏まつり」に変更、市民の心をひとつに多くの人々が楽しめる祭りとして開催されています。なかでも、「小倉祇園太鼓(小倉北区)」 、「黒崎祇園山笠(八幡西区)」、「戸畑祇園大山笠(戸畑区)」、「大里電照山笠(門司区)」、「若松五平太ばやし(若松区)」、「八幡東ねぶた(八幡東区)」、などの個性ある祭りを一堂に集めた「まつり大集合」は、他では見られない壮大な祭りとして、県内外からも150万人を越える人々が訪れています。また、1万人を超える人々が踊る百万踊りで、北九州市民の心が一つとなって踊る姿は壮観です。年々増え続ける市民参加の数に、まつりの持つ影響力は、北九州市民の意識の変化を感じさせます。
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4、これからのわっしょい百万夏まつり 

「わっしょいYOSAKOI北九州」

2003年北九州青年会議所は「市制40周年」を記念に、「わっしょい百万夏まつり」に新しい発想で盛り上げるようと「観るまつりから、参加するまつりへ」を合言葉に、当時全国に普及しつつあった高知市の「よさこい祭り」導入しました。「よさこい祭り」は、全国各地でおこなわれ、市民で構成する各チームが、お互いの地域の祭りに参加し、盛り上げることで成り立っています。今までの古くからある祭りとは全く違うもので、わっしょい百万夏祭りで「よさこい祭り」をおこなう事で、全国のよさこいに関わる人達が北九州を目指して集結したり、北九州の踊り子が全国のお祭りに出かけていってその土地の人々と交流したりと「市民レベルでの都市間交流」が盛んになることを目的に導入しました。
2003年のわっしょいに百万夏祭りに10チームを招聘して第一回目の「わっしょいYOSAKOI北九州」がおこなわれ、2008年には市制45周年を記念し「第7回九州中国よさこい祭り」を誘致し、東は大阪から、南は鹿児島まで役120チーム、6,000人が終結する大イベントになっています。





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「わっしょいキレイにし隊 」(市民参加型の清掃啓蒙運動)

1999年より欠かさず「わっしょい百万夏まつり」を日本一きれいな祭りしようとして、公募の市民と共にJCメンバーでゴミ拾い、ゴミのポイ捨てをしない啓蒙運動をおこなってきました。今では、まつりに参加した市民にも認知いただき、ゴミのポイ捨てが減少する効果を上げております。


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